スキップしてメイン コンテンツに移動

ペルガモン博物館のイシュタール門 Ishtar Gate of Pergamon Museum


ベルリン観光は、まずは博物館島へ行くことにした。

ホテルから歩いて10分〜15分ほどしかかからないので、時差ぼけの体にもいい。

博物館島には、多くの博物館が集まっていて、観光には便利だ。

まずは、ペルガモン博物館へ。

Tourism in Berlin decided to go to the museum island first.

It takes only 10 to 15 minutes to walk from the hotel, so it is good for jet lag.

There are many museums on the museum island, which is convenient for sightseeing.

First off to the Pergamon Museum.


私がベルリンを訪れた時は、この博物館は大規模な改修工事中だった。

工事現場のような場所をする抜けて入り口へ。

最初の展示ルーム入ると、バビロンのイシュタール門が来場者を出迎える。

When I visited Berlin, this museum was undergoing extensive renovation work.

Go out to a place like a construction site and go to the entrance.

When entering the first exhibition room, the Ishtar Gate of Babylon welcomes visitors.


紀元前600年頃、ネブカドネザル2世の時代に建てられたものだという。

このネブカドネザル2世は、新バビロニア王国の2代目の王で、旧約聖書の中では、イスラエルの地に攻め入り、ユダヤ人たちをバビロンに連れ去ったいわゆるバビロン捕因で知られている。

It is said that it was built around 600 BC, the era of Nebuchadnezzar II.

This king is the second generation king of the new Babylonian, known in the Old Testament by entering into the land of Israel and taking the Jews to Babylon.


博物館の細長い通路のような場所に、イシュタール門とそれに続く壁を再現するように、美しいタイル画が貼り付けらていた。

実際のこの回廊は180メートルもあったと考えられており、年の初めには、盛大なお祭りの舞台になっていたようだ。

この博物館では、そのうち30メートルが再現されている。

ネブカドネザル2世も、幾度となく、この回廊を通ったに違いない。

Beautiful tile paintings were pasted in places like the long narrow passage of the museum, to reproduce the Ishtar gates and their subsequent walls.

It was thought that this corridor was actually 180 meters, and it seems that it was a stage of a magnificent festival at the beginning of the year.

In this museum, 30 meters has been reproduced.
Nebuchadnezzar II must have passed this corridor again and again.



現代のベルリンから、気分は一気に、2,000年以上前のバビロンへ。

ベルリン観光の1日目から、いきなり歴史のロマンを感じることになった。

From modern Berlin, the mood goes to Babylon more than 2000 years ago.

From the first day of sightseeing in Berlin, I suddenly felt the romance of history.

(Translated by Google Translate)

コメント

このブログの人気の投稿

サンスーシ宮殿の絵画館 Picture gallery of Sanssouci Palace

サンスーシ宮殿の中に、絵画館がある。 長細い建物で、中に入ると、名前そのままに、壁一面に絵画が並んでいる。 There is a picture gallery in the Sanssouci Palace. It is a long and narrow building, and when you enter it, the paintings are lined up all over the wall, just like the name. この絵画館は、1755年から1763年にかけて作られたもので、プロイセン王室の絵画コレクションが展示されている。 This picture gallery, created between 1755 and 1763, displays the Prussian royal painting collection. 上を見上げると、美しい装飾が目に入ってくる。 Looking up at the top, beautiful decorations come into my eyes. 絵画館という名前だが、彫刻作品もある。 建物のちょうど真ん中にあるスペースには、アポロン像とディアナ像が置かれていた。 Although it is named a picture gallery, there are also sculptures. In the middle of the building, the Apollon statue and the Diana statue were placed. 絵画は、ルーベンス、ファン・ダイク、ヨルダーンス、グイド・レーニなどの作品で、いかにも王室コレクションという雰囲気。 The paintings are works such as Rubens, Van Dyke, Jordaens, Guido Reni, etc., and the atmosphere is truly a royal collection. この絵画館は、ドイツで最も古い美術館であると言われている。 ベルリンといえば、現在では、中心部ある美術館島がよく知られているが、その原点は、こ...

ポツダム広場にて At Potsdamer Platz

ポツダム広場駅の周辺は、多くの人でごった返していた。 この場所には、かつて、ポツダム訪問から来た人がベルリンの城壁内に入るための門があり、ポツダム広場と呼ばれるようになった。 第1次世界大戦後に、この場所はドイツの復興共に急速に発展し、ドイツはもとより、ヨーロッパで最も賑やかな場所と言われるまでになった。 The area around Potsdamer Platz station was crowded with lots of people. Once there, there was a gate for people from Potsdam to visit the walls of Berlin, and it was called Potsdamer Platz. After World War I, this place developed rapidly with the reconstruction of Germany, becoming one of the most bustling places in Europe as well as Germany. 第2次世界大戦における連合国の爆撃により、ベルリンという都市全体が焼け野原になり、このあたりは、東西ベルリンの境界線付近であったことで、長く、建物が建てられない地域になった。 東西の冷戦が終結し、この地域は、残された土地として、急速に発展を遂げた。 ソニーセンターは、その象徴的な建物で、建築家のヘルムート・ヤーンによる、ユニークな建築が、ベルリンの復活の象徴にもなっている。 The bombing of the Allied Powers in World War II made the whole city of Berlin a burnt field, and this was near the border between East and West Berlin, making it a long, unbuilt area. The cold war of the east and west ended, and this area has rapidly developed as the remaining land....

虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 Memorial to the Murdered Jews of Europe

ベルリンの壁から少し南に行った所に、虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑、通称でホロコースト記念碑、がある。 一見すると、コンクリートの塊が、広場一面に並んでいる。 そのコンクリートの四角い塊は、人が椅子のように腰掛けられる低いものもあれば、鬼のように人の背の高さもよりも高いものある。 A little south of the Berlin Wall, there is a monument for slaughtered European Jews, commonly known as the Holocaust monument. At first glance, a block of concrete is lined up on the square. Some of the concrete square blocks are low enough for a person to sit like a chair, and some are taller than a person like a demon. この施設は、ベルリンの壁が取り壊された後の跡地に建てられて、2005年5月12日にオープンした施設。設計は、一般のコンペによって選ばれた、アメリカの建築家、ピーター・アイゼンマンによる。 This facility was built on the site after the Berlin Wall was demolished and opened on May 12, 2005. The design is by American architect Peter Eisenman, selected by a general competition. 第二次世界大戦中におけるナチスによる虐殺によって亡くなったユダヤ人は、およそ600万人にのぼると言われている。 ナチスは、当初からユダヤ人を虐殺しようとしてはいなかった。 当初は、ユダヤ人をドイツ国内から追放しようと考えていて、マダガスカル島をその地に計画していたこともあった。 しかし、ポーランドを占領し、そこで200万人のユダヤ人を抱え込むことになり、追放を諦めて、虐殺する方向に政策を転換したと言われている。 ナチスは...