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9月, 2019の投稿を表示しています

ライプツィヒの街をめぐる Walking around Leipzig

当初の予定では、メンデルスゾーンの家や、ゲーテも通ったというドイツで最古のコーヒーハウスと言われるカフェ・バウムなどを訪れる予定だったが、列車が遅れた関係で、残念ながら行くことを断念した。 バッハの名前は死後、忘れられていたが、それを発見したのが、フェリックス・メンデルスゾーンと言われている。 メンデルスゾーンは、1829年にマタイ受難曲を演奏して、それがバッハ復活のきっかけになった。 メンデルスゾーンは、1835年にライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となり、1847年に38歳という若さで、このライプツィヒの地で息を引き取った。 彼が最後まで暮らした家が、このライプツィヒに残っている。 Originally planned to visit Mendelssohn's house and Cafe Baum, the oldest coffee house in Germany where Goethe also passed, but unfortunately abandoned because of the delayed train . Bach's name was forgotten after his death, but the discovery was said to be Felix Mendelssohn. Mendelssohn played the Matthew Passion in 1829, which triggered Bach's resurrection. Mendelssohn became the conductor of the Leipzig Gewandhaus Orchestra in 1835 and took his breath in the land of Leipzig at the age of 38 in 1847. The house where he lived remains in Leipzig. ドイツの文豪ゲーテは、16歳からの3年間、このライプツィヒの大学で法律を学んだ。 本人は、すでに文学者を志しており、法律の勉強よりは、カフェ・バウムなどに入り浸っ

ライプツィヒ バッハ博物館 Bach-Museum Leipzig

トマス教会のすぐ向かいに、バッハ博物館がある。 この建物は、貴金属を扱う商売を営んでいたボーゼ家の住まいだった。 ボーゼ家は、バッハとも交流があり、バッハ自身も、この近くのトマス教会のカントール用の宿舎に暮らしていた。 The Bach Museum is directly opposite Thomas Church. This building was the residence of the Bose family who was doing business dealing with precious metals. The Bose family also interacted with Bach, and Bach himself lived in the Cantor dormitory of the nearby Thomas Church. 博物館の中には、バッハはもとより、その一族に関する貴重な品々が展示されている。 この博物館の展示によれば、ヨハン・セバスチャン・バッハも含めて、バッハの一族には53人の音楽家がいたという。 In the museum, not only Bach but also valuable items related to the family are displayed. According to the museum, there were 53 musicians in the Bach family, including Johann Sebastian Bach. バッハの直筆の楽譜などもあり、バッハのファンはもとより、クラシック音楽ファンにとっても、貴重な品々ばかりだ。 There are also Bach's hand-written music scores, which are valuable items not only for Bach fans but also for classical music fans. バッハが実際に演奏したというオルガンも展示されていた。 バッハは、当時、オルガン奏者としても知られていて、オルガンの改修なども行なっていたらしい。 An organ that Bach act

バッハのトマス教会へ Bach & Thomaskirche

ライプツィヒを訪れた目的は、トマス教会を訪れることだった。 ヨハン・セバスチャン・バッハは、1865年にアイゼナハで生まれ、ヴァイマールを中心に活動していたが、やがて、1723年にこのトマス教会のカントルに採用された。 その採用の際、バッハは5番目の候補で、他の4人が辞退したり都合が悪かったりしたせいで、バッハにお声がかかったのだという。 The purpose of visiting Leipzig was to visit the Thomas Church. Johann Sebastian Bach was born in Eisenach in 1865 and was active mainly in Weimar. In 1723, he was adopted as the Cantor of the Thomas Church. Bach was the fifth candidate when he was hired, and the other four people declined or were inconvenienced. しかし、現在では、他の4人の音楽家の名前はほとんど知られていない。 ライプツィヒのトマス教会といえば、バッハが活躍した教会、ということになっている。 教会の前には、楽譜を手にして、厳粛な表情をしたバッハの銅像が恭しく立っている。 But now, the names of the other four musicians are almost unknown. Speaking of Thomas Church in Leipzig, it is supposed that Bach was active. In front of the church, a Bach statue with a solemn expression with a musical score is standing upright. 教会の内部に入った印象は、それほど大きくなく、こじんまりとした印象だった。というより、小さいという印象、の方が正確かもしれない。 The impression inside the church was not so big and

ベルリンからライプツィヒへ Berlin to Leipzig

ベルリンについて4日目。この日は、日帰りで、ベルリンからライプツィヒへ向かった。 ベルリン駅は、実にモダンな作りの駅で、新生ベルリンの象徴のように見えた。 Day 4 about Berlin. On this day, I left for Leipzig from Berlin. Berlin Station was a very modern station and looked like a symbol of the new Berlin. ドイツは鉄道大国で、しかも堅実な国民性からも、ドイツ鉄道には信頼を寄せていたが、あらかじめ予約してあった列車が遅れ、しかも、その後の対応を相談した駅員の人が、全く不確かな情報を提供したために、ライプツィヒへの出発が大幅に遅れてしまった。 本当に、ドイツ鉄道には、がっかりさせられた。 Germany is a railway powerhouse, and because of its solid national character, it was trusting Deutsche Bahn, but the trains that had been reserved in advance were delayed, and the station staff who consulted about the response was totally uncertain As a result, the departure to Leipzig was greatly delayed. I was really disappointed by the German Railways. それでも、何とか変わりの電車を見つけて、ようやくライプツィヒに到着。 Still, I managed to find a different train and finally arrived in Leipzig. ライプツィヒ駅は、1915年に建てられた巨大な駅舎で、多くのプラットフォームがあり、300メートルという巨大な長さはヨーロッパ最大だという。 駅の内部には、巨大なショッピングセンターもあった。 Leipzig Railway Station is a