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4月, 2020の投稿を表示しています

ユダヤ博物館で知るユダヤ人の歴史 Jewish history at the Jewish Museum

ユダヤ博物館に入るには厳しいセキュリティ・チェックを受ける必要がある。 これほど厳しいチェックは、これまでどの国の美術館でも経験したことがなく、この美術館の存在が意味するものを、些かながらも感じることができた。 To enter the Jewish Museum, you need to undergo a strict security check. I have never experienced such a strict check at any museum in any country, and I was able to feel the implications of the existence of this museum, albeit a little. 博物館の入り口はバロック調の建物だが、そこから右手にあるリベスキンド設計の新館の展示スペースに入っていく。 建物は鋭角に曲がっている構成なので、中に入っても、展示スペースは細かく分かれていて、前方を見渡すことができず、迷路の中を進んでいるようだ。 The entrance to the museum is a baroque building, and from there you enter the exhibition space of the new Libeskind designed building on the right. Since the building is bent at an acute angle, even if you go inside, the exhibition space is divided into small parts, and you can't look ahead. 広大な展示スペースは、いくつかのテーマに分かれている。 中世から近代にかけてのユダ人居住区、アシュケナージ。フランクフルト、プラハなどのヨーロッパの主要な都市におけるユダヤ人の暮らし。ユダヤの女性たち、18世期のユダヤ人哲学者モーゼス・メンデルスゾーンについて、などなど。 所々、壁の真ん中を切り裂くように外光を取り入れる窓がある。 The vast exhibiti

リベスキンドのユダヤ博物館 Libeskind's Judisches Museum Berlin

ベルリン市内の南、クロイツベルグの近くのリンデン通り沿いに、ユダヤ博物館がある。 入り口は、18世期に建てられたバロック調の落ち着いた建物だが、目を引くのはその隣に立っている異様な建物。 The Jewish Museum is located on Lindenstraße, near Kreuzberg, south of Berlin. The entrance is a calm baroque building built in the 18th century, but what attracts attention is the strange building standing next to it. ダニエル・リベスキンドが、この斬新なアイデアでユダヤ博物館のデザインコンペに勝利したのは、ベルリンの壁が崩壊した1989年だった。 そして、2001年に博物館としてオープンし、それ以来、この大胆なデザインは世界の注目の的となった。 正面からではわかりにくいが、上空からの写真を見ると、この建物の異様さがよくわかる。 まるで稲妻の閃光のように、建物が鋭角に何度も曲がっていて、過酷な経験を味わってきたユダヤ人の歴史の流れを象徴しているようだ。 It was in 1989 when the Berlin Wall collapsed that Daniel Libeskind won the Jewish Museum design competition with this novel idea. It opened in 2001 as a museum, and since then this bold design has been the center of attention in the world. It's hard to see from the front, but you can clearly see the strangeness of this building by looking at the photograph from the sky. As if it were a flash of lightnin

ケーテ・コルヴィッツ美術館 Käthe Kollwitz Museum

カイザー・ウィルヘルム記念教会から、クアフュルステンダムをしばらく歩いて、左手に曲がると、完成な住宅街が広がっている。 その一角に、ケーテ・コルヴィッツ美術館がある。 建物の前の彼女の写真の看板をうっかり見過ごしてしまったら、それが美術館とは気が付かないほど、一見すると普通の建物の中に、その美術館はあった。 From Kaiser Wilhelm Memorial Church, walk for a while on Kurfürstendamm and turn left to see the completed residential area. In one corner is the Kathe Kollwitz Museum. If I accidentally overlooked the sign on her photo in front of the building, it was in a seemingly ordinary building so that I wouldn't even notice it. ケーテ・コルヴィッツは、1867年にケーニヒスブルグで生まれ、彫刻家、版画家として活躍して、1945年にドレスデン郊外のモーリッツブルグで亡くなった。 彼女は、労働者や貧しい人々、戦争で家族を失った人々などをテーマに作品を作り、一貫して弱者の人々の姿を表現し続けた。 美術館の中の展示スペースはそれほど広くはないが、コルヴィッツの代表的な作品が展示されている一方で、現在の若いアーティストたちの作品も展示されていた Kathe Korwitz was born in Königsburg in 1867, worked as a sculptor and printmaker and died in Moritzburg in the suburbs of Dresden in 1945. She created works on the theme of workers, poor people, and people who lost their families in the war, and consistently depicted the

カイザー・ヴィルヘルム記念教会 Kaiser Wilhelm Memorial Church

UバーンでWittenbergplats駅まで行き、そこからカイザー・ヴィルヘルム記念教会へ。 Wittenbergplats駅は、古い駅舎が今でも使われている。プラットフォームから地上に上がってくると見えてくるその駅舎はとてもいい雰囲気だった。 From the East Side Gallery take the U-Bahn to Wittenbergplats Station and from there to the Kaiser Wilhelm Memorial Church. At Wittenbergplats station, the old station building is still used. The station building that you can see when you go up to the ground from the platform had a very nice atmosphere. 駅前の広場にあったオブジェから見て、タウエンチーン通りの向こうにカイザー・ヴィルヘルム記念教会が見える。 The Kaiser Wilhelm Memorial Church can be seen beyond Tauenchin Road from the object in the square in front of the station. 教会の名前にもあるように、この教会は1895年にドイツの初代皇帝ウィルヘルム1世を記念して建設された。 第2次世界大戦時の激しい空襲で損傷を受けたが、その空襲を忘れないように塔の部分だけがそのままの形で残されている。 As the name suggests, the church was built in 1895 to commemorate the first German Emperor Wilhelm I. Although it was damaged by a severe air raid during World War II, only the tower is left in its original form so as not to forget the

バウハウス・アーカイブ・ベルリン Bauhaus Archive Berlin

バウハウスの聖地とも言えるデッサウのバウハウス校舎を訪れたが、ベルリンにも、バウハウス・アーカイブ・ベルリンというバウハウスに関する施設がある。 ユニークな建物が目を引く。この建物は、バウハウスを始めたヴァルター・グロピウスのデザインを基に、1979年に建てられたもの。 I visited the Bauhaus school building in Dessau, which can be said to be the sacred place of Bauhaus, but there is also a facility related to Bauhaus called Bauhaus Archive Berlin in Berlin. Unique building gets a lot of looks. This building was built in 1979, based on the design of Walter Gropius who started Bauhaus. 最初に、ヴァルター・グロピウスのバウハウス宣言が展示されている。 続いて、ヨハネス・イッテン、ジョセフ・アルバース、ラースロー・モホリ=ナジ、ワシリー・カンディンスキー、パウル・クレー、オスカー・シュレンマー、らの錚々たる教師たちの授業内容と、生徒たちの作品が展示されている。 First, the Walter Gropius Bauhaus Declaration is on display. Next, students' works and the lesson contents of the teachers such as Johannes Itten, Joseph Albers, Larslaw Mohori-Nagy, Wassily Kandinsky, Paul Klee, Oscar Schlenmer, and others are exhibited. 最後には、マルセル・ブロイヤーのヴァシリー・チェアに代表される、バウハウスの工房から生まれた製品、版画、陶器、テキスタイル、ポスターなどが展示されていた。 At the end of the exhib

イーストサイドギャラリーの作品 East Side Gallery works

イーストサイドギャラリーには、およそ1.3kmの長さにわたって、21か国から参加した118人のアーティストの作品が展示されている。 最初は、一時的な取り組みとして企画され、やがて壁も取り壊される想定だったが、あまりの反響の大きさから、ギャラリーとして残されることになった。 ソ連のブレジネフ書記長と東ドイツのホーネッカー議長のキスの絵は、このイーストサイドギャラリーで最も有名な作品だろう。 多くの人が、この絵の前で、記念写真を撮影していた。 East Side Gallery displays the work of 118 artists from 21 countries over a length of about 1.3 km. At first, it was planned as a temporary effort, and it was supposed that the walls would eventually be demolished, but due to too much reaction, it was left as a gallery. Soviet General Secretary Brezhnev and East Germany Chairman Honecker's kissing paintings are perhaps the most famous works of the East Side Gallery. Many were taking commemorative photos in front of this picture. ベルリンの壁の崩壊で、壁の向こうから人々が溢れ出てきている。 With the collapse of the Berlin Wall, people are overflowing beyond the wall. 何とも不思議な印象をたたえた作品。 元は絵しか描かれていなかったが、その後、この地を訪れた人々によって、落書きが書かれるようになり、それが今では作品の一部のようになっている。 A work that gives a mysterious impression. Origin

イーストサイドギャラリーとベルリンの壁 East Side Gallery and Berlin Wall

オスト駅からシュプレー川の方にしばらく歩いていくと、イーストサイドギャラリーが見えてくる。 この川沿いには、ベルリンの壁が長々と残されていて、その壁面に、多くのアーティストが絵を描き始めて、今ではイーストサイドギャラリーと呼ばれることになった。 After walking for a while from Ost Station towards Spree River, you will see the East Side Gallery. A long wall of Berlin was left along the river, and many artists started painting on it, which is now called the East Side Gallery. 第2次世界大戦でベルリンはソ連の猛攻により陥落し、ヒトラーは自殺、ナチス帝国は崩壊した。 首都のベルリンは、ソ連、アメリカ、イギリス、フランスの4カ国によって占領された、ドイツは西ドイツと東ドイツに分裂して、ベルリンも西と東に分断された。 やがて、東西冷戦が勃発。東ドイツは1961年8月13日から突如として境界に壁の建設を始めて、それまで比較的自由に行われていた、東西ベルリンの人々の交流は閉ざされてしまった。 1963年6月26日に西ベルリンを訪れたアメリカのケネディ大統領は、”Ich bin ein Berliner”、私は一人のベルリン市民である、と演説して、東ドイツの領土内で孤立している西ベルリン市民への連帯感を表明した。 In World War II Berlin fell due to the Soviet onslaught, Hitler committed suicide and the Nazi empire collapsed. Berlin, the capital, was occupied by four countries, the Soviet Union, the United States, Britain, and France. Germany was divided into West Germany and East Germany, and Berlin w

アレキサンダー広場とベルリンの誕生 Alexanderplatz and Birth of Berlin

ベルリンを代表するテレビ塔は、博物館島から東側にあるアレクサンダー広場にそびえ立っている。 この地区はかつての東ドイツの中にあり、このテレビ塔は東ドイツの技術力の高さをアピールする目的で、1969年に建てられた。 高さは363メートルあり、エレベーターで上に上ることができる。 Berlin's iconic TV tower stands on Alexanderplatz, east of Museum Island. The district is located in what was once East Germany, and the television tower was built in 1969 to showcase East Germany's technological prowess. It is 363 meters high and can be reached by elevator. その広場に面してマリーエン教会。森鴎外の小説『舞姫』にも、主人公が貧しい境遇のヒロインと出会うのは、この教会の前とされている。 中世のペストが蔓延する様子を描いた壁画『死の舞踏』があることでも知られている。 The Marienkirche is facing the square. In the novel "Maihime" by Ogai Mori, it is said that the hero meets the poor heroine before this church. It is also known for its mural painting "Dance of Death," which depicts the spread of plague in the Middle Ages. このアレキサンダー広場だけではないが、ベルリンの街のあちこちには、このように街の歴史を紹介するポストのようなものが立っていた。 実は、このアレキサンダー広場の近くからは、中世の古い壁の一部が発見されている。 ベルリンの街は、この広場のあたりに人々が住み始めて生まれ、その後徐々にその規模を広げて、やがてウィルヘルム1世に