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新博物館の古代エジプト美術 Neues Museum Berlin - Egyptian Museum

ペルガモン博物館に続いて、すぐその隣にある、新博物館を訪れた。

この建物は、第2次世界大戦の連合軍の空爆で破壊されて、博物館として再開されたのは、なんと2009年になってからだった。

この博物館が出来た1850年頃には、新しい博物館だったので、名前は新博物館と呼ばれるが、現在ここに展示されているのは、古代エジプトや古代ヨーロッパの文物が中心なので、名前と展示内容がミスマッチな感じがする。

Following the Pergamon museum, I visited a new museum next to it.

This building was destroyed by the bombing of Allied Forces of World War II and it was restarted as a museum, in 2009.

As the museum was built around 1850, it was a new museum, so the name is called a new museum, but now the exhibits are centered around ancient Egyptian and ancient European artifacts, so the name and exhibit contents I feel a mismatch.


この博物館の見所は、古代エジプトの様々な文物。

レベル0、1、2、3という4つのフロアがあるが、レベル0の全てと、レベル1、2の半分ほどは、古代エジプトのコーナーになっている。

Highlights of this museum are various cultures of ancient Egypt.

There are four floors level 0, 1, 2, 3, but all of level 0 and about half of levels 1 and 2 are corner of ancient Egypt.


古代エジプトのファイアンスという色のついたセラミックで作られた、カバなどの可愛らしい動物たち。

当時のエジプトでは、こうした動物のオブジェは、魔除けとして用いられたらしい。

Pretty animals such as hippopotamus made of ceramic with colored ancient Egyptian faience.

In Egypt of those days, it seems that objects of these animals were used as amulets.


エジプトといえば、やっぱりミイラが思い浮かぶ。

ツタンカーメンの黄金のマスクなどの金ピカのイメージが強いが、マスクは生前の姿を留めるという意図が元々はあったのだろう。

こうした金ピカでないミイラのマスクは、とても新鮮な印象を受けた。

Speaking of Egypt, mummies come to mind.

The image of gold pika such as Tutankhamen's golden mask is strong, but the mask had originally had the intention of keeping the appearance of life beforehand.

The mask of a mummy that is not such a golden pic has received a very fresh impression.


エジプトでは、人間以外の生き物も、ミイラにした。

ワニやネコ、ハヤブサなどのミイラもあった。

ネコやハヤブサは、飼っていた人がミイラにしたのだろうが、ワニはどうしてミイラにしたのだろう。

ワニは、ナイル川の象徴なのだろうが、ペットして可愛がっていたのかもしれない。

In Egypt, non-human creatures were also made into mummies.

There were also mummies such as crocodiles, cats, and falcons.

I wonder why cats and falcons made mummies to people who kept them, but why did crocodiles make mummies.

The crocodile may be a symbol of the Nile, but it may have been petted and pretty.


これは、紀元前1360年、第18王朝の時に作られた、ティー女王像。

This is the statue of Queen Tyi, made in the 18 th Dynasty, 1360 BC.


この新博物館の1番の目玉は、ネフェルティティ像。

その像は、レベル2の奥まった場所にある専用ルームに展示されていた。

残念ながら、撮影は不可。

恭しく、部屋の真ん中に展示されていて、360度周りから、じっくりと観察することができた。

とにかく、美しいの一言。

紀元前1340年、第18王朝、いわゆる、アマルナ時代の傑作。

上の写真は、同じ時代のものだが、やや顔を細長く作る傾向にもあるものの、人物の表情を実にリアルに表現している。

当時の人々の意識が、大きく変わったことが、そうした品々から、明確に見て取れる。

The first feature of this new museum is the statue of Nefertiti.

The statue was exhibited in a dedicated room at the back of level 2.

Unfortunately, taking photo is not permitted.

It was graciously displayed in the middle of the room, and I could observe it thoroughly from around 360 degrees.

Anyway, a word of beautiful.

A masterpiece of the 18th Dynasty, the so-called Amarna era, in 1340 BC.

Although the above picture is of the same age, although there is a tendency to make a face a little slender somewhat, it expresses the expression of a person in a real way.

It can be clearly seen from those items that people's awareness at the time has changed significantly.

(Translated by Google Translate)

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