スキップしてメイン コンテンツに移動

ボーデ博物館のティルマン・リーメンシュナイダー Tillman Riemenschneider in Bode Museum


今回、ドイツに来て是非ともこの目にしたかったのが、ティルマン・リーメンシュナイダーの作品だった。

リーメンシュナイダーは、15世紀から16世紀に、ヴュルツブルグを中心に活躍した彫刻家。

ドイツ各地に残る古い教会には、リーメンシュナイダーの彫刻作品が数多く残されている。

このボーデ博物館のような場所に展示されているのは、小型の彫刻が多い。

This time, it was the work of Tilman Riemenschneider who came to Germany and wanted to see this by all means.

Riemenschneider is a sculptor who was active mainly in Wurzburg from the 15th century to the 16th century.

Many sculptures by Leemenschneider are left in the old churches remaining in various parts of Germany.

There are many small sculptures that are exhibited in places like this Bode Museum.


大学の頃に、ドイツ語を学んでいた先生が、よく彼の話をしていた。

その後、日本で開催された展覧会などで、リーメンシュナイダーの作品を何点か目にする機会があった。

リーメンシュナイダーの作品の特徴は、何と言っても、あの独特の人々の表情だろう。

A teacher who was learning German when I was a university was often talking about him.

After that, at the exhibition held in Japan, we had the opportunity to see a few of Raimenschneider's work.

The characteristic of Riemenschneider's work is, by any means, the expression of that unique people.


どの人物も、現代的な感覚からすると、決して美人や美男子、といった感じではない。

それどころか、どこか癖のある表情と言っていい。

しかし、何か憂いを秘めたようなその表情は、1度目にしたら、記憶の鮮明に刻み込まれてしまう、強烈な印象を見るものに与える。

Every person, from a modern sense, is never a feeling like beautiful girls or beautiful boys.

On the contrary, it can be said that there is a habitual expression somewhere.

However, the expression that seemed to have something to do with something gives to the one who sees a strong impression which will be engraved in the vivid memories if it is done for the first time.



そのリーメンシュナイダーは、一時は、ヴュルツブルグの市長を勤めていたこともある。

しかし、時代はドイツ宗教改革の時代。

熱烈なプロテスタントだったというリーメンシュナイダーは、旧教派によって、戦争における罪を問われ、腕を折られてしまった。

腕を折られてからは、勿論のこと、2度と、その素晴らしい彫刻作品を作ることはできなかった。

Riemenschneider, at one time, served as the mayor of Würzburg.

However, the era is the era of German religious reform.

Riemenschneider, who was an ardent Protestant, was forced to crime in the war by the old denominations, and his arms were broken.

After breaking his arms, of course, he could not make that wonderful sculpture work twice.


このドイツの旅で、ミュンヘンの地で、私は再び、リーメンシュナイダーの作品に向き合うことになる。

In this German journey, in the land of Munich, I will again face Romenschneider's work.

(Translated by Google Translate)

コメント

このブログの人気の投稿

サンスーシ宮殿の絵画館 Picture gallery of Sanssouci Palace

サンスーシ宮殿の中に、絵画館がある。 長細い建物で、中に入ると、名前そのままに、壁一面に絵画が並んでいる。 There is a picture gallery in the Sanssouci Palace. It is a long and narrow building, and when you enter it, the paintings are lined up all over the wall, just like the name. この絵画館は、1755年から1763年にかけて作られたもので、プロイセン王室の絵画コレクションが展示されている。 This picture gallery, created between 1755 and 1763, displays the Prussian royal painting collection. 上を見上げると、美しい装飾が目に入ってくる。 Looking up at the top, beautiful decorations come into my eyes. 絵画館という名前だが、彫刻作品もある。 建物のちょうど真ん中にあるスペースには、アポロン像とディアナ像が置かれていた。 Although it is named a picture gallery, there are also sculptures. In the middle of the building, the Apollon statue and the Diana statue were placed. 絵画は、ルーベンス、ファン・ダイク、ヨルダーンス、グイド・レーニなどの作品で、いかにも王室コレクションという雰囲気。 The paintings are works such as Rubens, Van Dyke, Jordaens, Guido Reni, etc., and the atmosphere is truly a royal collection. この絵画館は、ドイツで最も古い美術館であると言われている。 ベルリンといえば、現在では、中心部ある美術館島がよく知られているが、その原点は、こ

ポツダム広場にて At Potsdamer Platz

ポツダム広場駅の周辺は、多くの人でごった返していた。 この場所には、かつて、ポツダム訪問から来た人がベルリンの城壁内に入るための門があり、ポツダム広場と呼ばれるようになった。 第1次世界大戦後に、この場所はドイツの復興共に急速に発展し、ドイツはもとより、ヨーロッパで最も賑やかな場所と言われるまでになった。 The area around Potsdamer Platz station was crowded with lots of people. Once there, there was a gate for people from Potsdam to visit the walls of Berlin, and it was called Potsdamer Platz. After World War I, this place developed rapidly with the reconstruction of Germany, becoming one of the most bustling places in Europe as well as Germany. 第2次世界大戦における連合国の爆撃により、ベルリンという都市全体が焼け野原になり、このあたりは、東西ベルリンの境界線付近であったことで、長く、建物が建てられない地域になった。 東西の冷戦が終結し、この地域は、残された土地として、急速に発展を遂げた。 ソニーセンターは、その象徴的な建物で、建築家のヘルムート・ヤーンによる、ユニークな建築が、ベルリンの復活の象徴にもなっている。 The bombing of the Allied Powers in World War II made the whole city of Berlin a burnt field, and this was near the border between East and West Berlin, making it a long, unbuilt area. The cold war of the east and west ended, and this area has rapidly developed as the remaining land.

虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 Memorial to the Murdered Jews of Europe

ベルリンの壁から少し南に行った所に、虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑、通称でホロコースト記念碑、がある。 一見すると、コンクリートの塊が、広場一面に並んでいる。 そのコンクリートの四角い塊は、人が椅子のように腰掛けられる低いものもあれば、鬼のように人の背の高さもよりも高いものある。 A little south of the Berlin Wall, there is a monument for slaughtered European Jews, commonly known as the Holocaust monument. At first glance, a block of concrete is lined up on the square. Some of the concrete square blocks are low enough for a person to sit like a chair, and some are taller than a person like a demon. この施設は、ベルリンの壁が取り壊された後の跡地に建てられて、2005年5月12日にオープンした施設。設計は、一般のコンペによって選ばれた、アメリカの建築家、ピーター・アイゼンマンによる。 This facility was built on the site after the Berlin Wall was demolished and opened on May 12, 2005. The design is by American architect Peter Eisenman, selected by a general competition. 第二次世界大戦中におけるナチスによる虐殺によって亡くなったユダヤ人は、およそ600万人にのぼると言われている。 ナチスは、当初からユダヤ人を虐殺しようとしてはいなかった。 当初は、ユダヤ人をドイツ国内から追放しようと考えていて、マダガスカル島をその地に計画していたこともあった。 しかし、ポーランドを占領し、そこで200万人のユダヤ人を抱え込むことになり、追放を諦めて、虐殺する方向に政策を転換したと言われている。 ナチスは