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ベルリンからライプツィヒへ Berlin to Leipzig


ベルリンについて4日目。この日は、日帰りで、ベルリンからライプツィヒへ向かった。

ベルリン駅は、実にモダンな作りの駅で、新生ベルリンの象徴のように見えた。

Day 4 about Berlin. On this day, I left for Leipzig from Berlin.

Berlin Station was a very modern station and looked like a symbol of the new Berlin.


ドイツは鉄道大国で、しかも堅実な国民性からも、ドイツ鉄道には信頼を寄せていたが、あらかじめ予約してあった列車が遅れ、しかも、その後の対応を相談した駅員の人が、全く不確かな情報を提供したために、ライプツィヒへの出発が大幅に遅れてしまった。

本当に、ドイツ鉄道には、がっかりさせられた。

Germany is a railway powerhouse, and because of its solid national character, it was trusting Deutsche Bahn, but the trains that had been reserved in advance were delayed, and the station staff who consulted about the response was totally uncertain As a result, the departure to Leipzig was greatly delayed.

I was really disappointed by the German Railways.


それでも、何とか変わりの電車を見つけて、ようやくライプツィヒに到着。

Still, I managed to find a different train and finally arrived in Leipzig.


ライプツィヒ駅は、1915年に建てられた巨大な駅舎で、多くのプラットフォームがあり、300メートルという巨大な長さはヨーロッパ最大だという。

駅の内部には、巨大なショッピングセンターもあった。

Leipzig Railway Station is a huge station building built in 1915, has many platforms, and has a huge length of 300 meters, which is the largest in Europe.

There was also a huge shopping center inside the station.

(Translated by Google Translate)


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