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ライプツィヒの街をめぐる Walking around Leipzig


当初の予定では、メンデルスゾーンの家や、ゲーテも通ったというドイツで最古のコーヒーハウスと言われるカフェ・バウムなどを訪れる予定だったが、列車が遅れた関係で、残念ながら行くことを断念した。

バッハの名前は死後、忘れられていたが、それを発見したのが、フェリックス・メンデルスゾーンと言われている。

メンデルスゾーンは、1829年にマタイ受難曲を演奏して、それがバッハ復活のきっかけになった。

メンデルスゾーンは、1835年にライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となり、1847年に38歳という若さで、このライプツィヒの地で息を引き取った。

彼が最後まで暮らした家が、このライプツィヒに残っている。

Originally planned to visit Mendelssohn's house and Cafe Baum, the oldest coffee house in Germany where Goethe also passed, but unfortunately abandoned because of the delayed train .

Bach's name was forgotten after his death, but the discovery was said to be Felix Mendelssohn.

Mendelssohn played the Matthew Passion in 1829, which triggered Bach's resurrection.

Mendelssohn became the conductor of the Leipzig Gewandhaus Orchestra in 1835 and took his breath in the land of Leipzig at the age of 38 in 1847.

The house where he lived remains in Leipzig.


ドイツの文豪ゲーテは、16歳からの3年間、このライプツィヒの大学で法律を学んだ。

本人は、すでに文学者を志しており、法律の勉強よりは、カフェ・バウムなどに入り浸って、もっぱら人生経験を豊富にしていたらしい。

ゲーテの代表作、ファウストの冒頭の居酒屋のシーンは、このカフェ・バウムでの経験が元になっていると言われている。

街の中心のマルクト広場には、若き日のゲーテ像が立てられている。

German great writer Goethe studied law at this Leipzig university for three years from age 16.

He is already aspiring to be a literary person, and rather than studying law, he was immersed in cafes and baums, which seemed to enrich his life experience.

Goethe's masterpiece, Fausto's opening izakaya scene is said to be based on his experience at Cafe Baum.

A young Goethe statue is set up at the market square in the center of the city.


続いて訪れたのは、ニコライ教会。

バッハは、この教会でも多くの曲を演奏しており、ヨハネ受難曲の初演も、この教会で行われた。

The next visit was the Nikolaikirche.

Bach also performed many songs in this church, and the premiere of the John Passion was also performed in this church.


教会の中に入ると、天井の美しい装飾がまず人々の目を奪う。

12世紀に建てられた教会で、ライプツィヒの街では、一番古い教会とのこと。

When you enter the church, the beautiful decorations on the ceiling first take people's eyes.

This church was built in the 12th century and is the oldest church in the city of Leipzig.


東ドイツ時代には、この教会では平和や人権を訴える集会や活動が行われていた。

冷戦が崩壊した1989年10月には、ライプツィヒで大規模なデモが発生し、それがドイツ各地に波及して、その流れがベルリンの壁の崩壊につながった。

During the East German period, the church held gatherings and activities that appealed for peace and human rights.

In October 1989, when the Cold War collapsed, a large-scale demonstration occurred in Leipzig, which spread throughout Germany and led to the collapse of the Berlin Wall.


哲学者のニーチェも、ライプツィヒ大学で学生時代を過ごした。

ニーチェは、このライプツィヒに暮らしていた時に、ショーペンハウエルの書物を読んで、大きな衝撃を受けた。

さらに、ニーチェがワーグナーと初めて出会ったのも、この地であったという。

ライプツィヒという街は、ニーチェのその後の思想形成において、実に大きな影響を与えた場所と言っていいだろう。

The philosopher Nietzsche also spent his student days at Leipzig University.

Nietzsche was shocked to read Schopenhawel's book when he lived in Leipzig.

This is also where Nietzsche first met Wagner.

It can be said that Leipzig was a place that had a great influence on Nietzsche's subsequent thought formation.

(Translated by Google Translate)

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