スキップしてメイン コンテンツに移動

ライプツィヒからデッサウへ From Leipzig to Dessau


ライプツィヒの街を歩いている時に、雨が降っていたが、帰る頃になった雨が上がり、青空が広がった。

この日は、この後、ライプツィヒからデッサウへ向かった。

勿論、バウハウスに行くためである。

When I was walking in the city of Leipzig, it was raining, but when it came home it rained and the blue sky spread.

On this day, I went from Leipzig to Dessau.

Of course, to go to Bauhaus.


電車が出発するまでに少し時間があったので、ホームにあった売店で簡単なランチを取ることにした。

Since there was a little time before the train departed, I decided to have a simple lunch at a store in my home.


ベルリンでも何回か食べたが、ここでもやはりカリーブルスト。

I ate it several times in Berlin, but here again it is curry bust.


電車に乗り込んだが、出発時間になってもなかなか出発しない。

しばらくするとアナウンスがあり、接続の関係で、出発時間が遅れるという。

I got on the train, but it doesn't take off easily at the departure time.

There will be an announcement after a while, and the departure time will be delayed due to the connection.


ベルリンからこのライプツィヒに来る際も、遅延のトラブルなどがあった。

1日に2度目のトラブルで、とにかく呆れかえってしまった。

イギリス、フランス、スペイン、ノルウェー、スウェーデン、イタリアなどで列車を利用したことがあるが、こんな経験は初めて。

はっきり言って、もう2度とドイツ鉄道は利用したくない、という気分になった。

When I came to Leipzig from Berlin, I had trouble with delay.

The second trouble a day made me feel amazed anyway.

I have used trains in England, France, Spain, Norway, Sweden, Italy, etc., but this is my first experience.

To be clear, I felt like I didn't want to use Deutsche Bahn again.


結局、電車は1時間近く遅れての発車。

遅れるのは最初からわかっていたら、もっとライプツィヒの街をブラブラしたのだが。

ライプティヒからデッサウまでは、1時間弱ほどで到着した。

駅の周囲には、それほど建物も多くなく、歩いている人々もまばら。静かな地方の町、という印象だった。

In the end, the train departed almost an hour later.

If I knew from the beginning that I was late, I drove around the city of Leipzig more.

I arrived from Leipzig to Dessau in less than an hour.

There are not many buildings around the station, and people walking are sparse. The impression was that it was a quiet local town.


デッサウ中央駅からバウハウスには、ほぼ一本道。

長年、どうしても来てみたかった場所へ向かう道を、心を弾ませながら歩いた。

From Dessau Central Station to Bauhaus, there is almost a straight road.

For many years, I walked on my way to where I really wanted to come.

(Translated by Google Translate)

コメント

このブログの人気の投稿

サンスーシ宮殿の絵画館 Picture gallery of Sanssouci Palace

サンスーシ宮殿の中に、絵画館がある。 長細い建物で、中に入ると、名前そのままに、壁一面に絵画が並んでいる。 There is a picture gallery in the Sanssouci Palace. It is a long and narrow building, and when you enter it, the paintings are lined up all over the wall, just like the name. この絵画館は、1755年から1763年にかけて作られたもので、プロイセン王室の絵画コレクションが展示されている。 This picture gallery, created between 1755 and 1763, displays the Prussian royal painting collection. 上を見上げると、美しい装飾が目に入ってくる。 Looking up at the top, beautiful decorations come into my eyes. 絵画館という名前だが、彫刻作品もある。 建物のちょうど真ん中にあるスペースには、アポロン像とディアナ像が置かれていた。 Although it is named a picture gallery, there are also sculptures. In the middle of the building, the Apollon statue and the Diana statue were placed. 絵画は、ルーベンス、ファン・ダイク、ヨルダーンス、グイド・レーニなどの作品で、いかにも王室コレクションという雰囲気。 The paintings are works such as Rubens, Van Dyke, Jordaens, Guido Reni, etc., and the atmosphere is truly a royal collection. この絵画館は、ドイツで最も古い美術館であると言われている。 ベルリンといえば、現在では、中心部ある美術館島がよく知られているが、その原点は、こ...

ポツダム広場にて At Potsdamer Platz

ポツダム広場駅の周辺は、多くの人でごった返していた。 この場所には、かつて、ポツダム訪問から来た人がベルリンの城壁内に入るための門があり、ポツダム広場と呼ばれるようになった。 第1次世界大戦後に、この場所はドイツの復興共に急速に発展し、ドイツはもとより、ヨーロッパで最も賑やかな場所と言われるまでになった。 The area around Potsdamer Platz station was crowded with lots of people. Once there, there was a gate for people from Potsdam to visit the walls of Berlin, and it was called Potsdamer Platz. After World War I, this place developed rapidly with the reconstruction of Germany, becoming one of the most bustling places in Europe as well as Germany. 第2次世界大戦における連合国の爆撃により、ベルリンという都市全体が焼け野原になり、このあたりは、東西ベルリンの境界線付近であったことで、長く、建物が建てられない地域になった。 東西の冷戦が終結し、この地域は、残された土地として、急速に発展を遂げた。 ソニーセンターは、その象徴的な建物で、建築家のヘルムート・ヤーンによる、ユニークな建築が、ベルリンの復活の象徴にもなっている。 The bombing of the Allied Powers in World War II made the whole city of Berlin a burnt field, and this was near the border between East and West Berlin, making it a long, unbuilt area. The cold war of the east and west ended, and this area has rapidly developed as the remaining land....

虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 Memorial to the Murdered Jews of Europe

ベルリンの壁から少し南に行った所に、虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑、通称でホロコースト記念碑、がある。 一見すると、コンクリートの塊が、広場一面に並んでいる。 そのコンクリートの四角い塊は、人が椅子のように腰掛けられる低いものもあれば、鬼のように人の背の高さもよりも高いものある。 A little south of the Berlin Wall, there is a monument for slaughtered European Jews, commonly known as the Holocaust monument. At first glance, a block of concrete is lined up on the square. Some of the concrete square blocks are low enough for a person to sit like a chair, and some are taller than a person like a demon. この施設は、ベルリンの壁が取り壊された後の跡地に建てられて、2005年5月12日にオープンした施設。設計は、一般のコンペによって選ばれた、アメリカの建築家、ピーター・アイゼンマンによる。 This facility was built on the site after the Berlin Wall was demolished and opened on May 12, 2005. The design is by American architect Peter Eisenman, selected by a general competition. 第二次世界大戦中におけるナチスによる虐殺によって亡くなったユダヤ人は、およそ600万人にのぼると言われている。 ナチスは、当初からユダヤ人を虐殺しようとしてはいなかった。 当初は、ユダヤ人をドイツ国内から追放しようと考えていて、マダガスカル島をその地に計画していたこともあった。 しかし、ポーランドを占領し、そこで200万人のユダヤ人を抱え込むことになり、追放を諦めて、虐殺する方向に政策を転換したと言われている。 ナチスは...