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ボーデ博物館へ Going to Bode Museum


続いて、すぐ隣にある、ペルガモン博物館や新博物館のすぐ近くにある、ボーデ博物館へ向かった。

特徴のある建物で、ベルリンの博物館等を紹介する写真には、このボーデ博物館の建物が写っていることが多い。

Next, I went to the Bode Museum, which is located in the immediate vicinity of the Pergamon museum and the new museum next door.

In a characteristic building, photographs introducing museums in Berlin etc. often show the buildings of this Bode Museum.


このドームが正面の入り口になっていて、このドームの後方に、2階建ての建物が続いている。

This dome is the entrance to the front, behind the dome is a two-story building.


シュプレー川の中州の先頭にこの博物館は建てれらている。橋の向こうには、こちらもベルリンを代表する、旧東ドイツの電波塔が見える。

This museum is built at the beginning of Nakasu of the Spree River. Beyond the bridge, you can see the former East German radio tower, again representing Berlin.


入り口を入ると、正面のフリードリッヒ・ウィルヘルム1世の勇壮な彫像が、来場者を出迎えている。

このウィルヘルム1世は、いわゆるフリードリッヒ大王(2世)の父親に当たる。

ウィルヘルム1世は、かつてのプロイセンの第2代の王と言われる。

父親のフリードリッヒ1世の後を継いで、プロイセンを強国にするための様々な施策を行った。兵隊王と呼ばれている。

性格的には、かなり細かい性格だったようで、国政は勿論のこと、臣下の生活についてまで、いちいち細かい指示をしたという。

息子で後を継ぎ、プロイセンをヨーロッパの大国に押し上げたフリードリッヒ大王とは、あまりいい関係ではなかったようだ。

When entering the entrance, the brave statue of Friedrich Wilhelm I of the front is greeting visitors.

This Wilhelm I is the father of the so-called Friedrich the King (II).

Wilhelm I is said to be the second generation king of Prussia in the past.

Following the father Friedrich I, he made various measures to make Prussia a powerful country. It is called a soldier king.

Characteristically, it seems that it was a rather fine personality, and he said that he ordered detailed instructions every day, not to mention the national government, but also to the life of his minister.

It seems that it was not a very good relationship with King Friedrich who succeeded with his son and pushed Prussia to the power of Europe.


そのウィルヘルム1世に見送られて、ボーデ博物館の展示室への向かった。

I was sent off to Wilhelm I and headed to the exhibition room of the Bode Museum.

(Translated by Google Translate)

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