スキップしてメイン コンテンツに移動

バウハウス巡礼③ Bauhaus pilgrimage - Part 3


バウハウスの校舎の中を歩いていると、所々で、前に一度歩いたことがある、あるいは見たことがある、と感じられる。

自分が子供時代を送った、小学校や中学校の校舎に、とても似たところがある。

When I walk in the Bauhaus school, I feel that I have walked or seen once in some places.

There is something very similar to the school buildings of elementary and junior high schools where I sent my childhood.


戦後、戦争で焼け野原になった土地に新たに作られた多くの公共建築は、当時の世界的な潮流であったモダン建築をモデルに作られた。

グロピウスが設計したこの建物は、ル・コルビュジエらの建築も含めて、日本のみならず、その後の世界中の建築に大きな影響を与えた、ということなのだろう。

After the war, many public buildings newly created on the land that became burnt fields in the war were modeled on modern architecture, which was the world trend at the time.

This building designed by Gropius would have had a great influence not only in Japan, but also in the rest of the world, including Le Corbusier's architecture.


バウハウスからは、建築だけでなく、家具や金属工芸などの分野にも大きな影響を与えたデザインが生み出された。

Bauhaus has created designs that have had a major impact not only on architecture, but also on furniture and metal crafts.


その中でもとりわけよく知られているのは、マルセル・ブロイヤーのワシリー・チェアだろう。

ブロイヤーは、1902年にハンガリーで生まれ、最初は生徒としてバウハウスで学んでいた。

やがて教育課程を終了し、教師になる試験にも合格して、いわゆるマイスターになり木工工房を任されていた。

1925年に、自転車のハンドルからヒントを受けて、金属パイプをイスに使うことを思いついた、それまでは、イスといえば木材で作られるのが常識だった。

そして、ワシリー・カンディンスキーのためにデザインしたのが、ワシリー・チェア。

The most well-known of these is Marcel Breuer's Wassily Chair.

Breuer was born in Hungary in 1902, and initially studied at Bauhaus as a student.

Soon after completing the curriculum and passing the exam to become a teacher, he became a so-called Meister and was entrusted with a woodworking workshop.

In 1925, he got a hint from a bicycle handle and came up with the idea of using metal pipes for chairs.

And the Wassily chair was designed for Wassily Kandinsky.


バウハウスの金属工房からも、数々の名品が生み出された。

グロピウスや、多方面で活躍したヨゼフ・アルバースも作品を手がけたが、マリアンネ・ブラント、クリスツィアン・デルらも、シンプルで洗練されたモダン・デザインな金属工芸品を生み出している。

そうした作品の中には、ウィーン工房の金属工芸と似ているものもある。バウハウスは、それまでのデザインの流れにも大きな影響を受けている。

Numerous masterpieces were created from the Bauhaus metal workshop.

Gropius and Joseph Albers, who was active in many fields, also worked on it, but Marianne Brandt, Chrisian Del and others have also created simple, sophisticated and modern metal works.

Some of them are similar to the metalwork of the Vienna workshop. Bauhaus is also greatly influenced by the design flow so far.


バウハウスには、他にも陶芸工房、織物工房などもあった。

さらに、ポスターなどのグラフィック・デザイン、実験的な写真、前衛的な演劇など、様々な分野で創造的な作品を生み出して、後世に影響を与えた。

バウハウスの校舎を巡りながら、この小さな校舎から、その後の世界のデザインを変える作品が次々に生み出されていったことを考えると、深い感慨に囚われてしまった。

Bauhaus also had a pottery workshop and a textile workshop.

In addition, he created creative works in various fields, such as posters and other graphic designs, experimental photographs, and avant-garde drama, and influenced later generations.

As I went around the Bauhaus school building, I was deeply moved by the thought of the creation of works that changed the design of the world one after another from this small school building.

(Translated by Google Translate)

コメント

このブログの人気の投稿

サンスーシ宮殿の絵画館 Picture gallery of Sanssouci Palace

サンスーシ宮殿の中に、絵画館がある。 長細い建物で、中に入ると、名前そのままに、壁一面に絵画が並んでいる。 There is a picture gallery in the Sanssouci Palace. It is a long and narrow building, and when you enter it, the paintings are lined up all over the wall, just like the name. この絵画館は、1755年から1763年にかけて作られたもので、プロイセン王室の絵画コレクションが展示されている。 This picture gallery, created between 1755 and 1763, displays the Prussian royal painting collection. 上を見上げると、美しい装飾が目に入ってくる。 Looking up at the top, beautiful decorations come into my eyes. 絵画館という名前だが、彫刻作品もある。 建物のちょうど真ん中にあるスペースには、アポロン像とディアナ像が置かれていた。 Although it is named a picture gallery, there are also sculptures. In the middle of the building, the Apollon statue and the Diana statue were placed. 絵画は、ルーベンス、ファン・ダイク、ヨルダーンス、グイド・レーニなどの作品で、いかにも王室コレクションという雰囲気。 The paintings are works such as Rubens, Van Dyke, Jordaens, Guido Reni, etc., and the atmosphere is truly a royal collection. この絵画館は、ドイツで最も古い美術館であると言われている。 ベルリンといえば、現在では、中心部ある美術館島がよく知られているが、その原点は、こ...

ポツダム広場にて At Potsdamer Platz

ポツダム広場駅の周辺は、多くの人でごった返していた。 この場所には、かつて、ポツダム訪問から来た人がベルリンの城壁内に入るための門があり、ポツダム広場と呼ばれるようになった。 第1次世界大戦後に、この場所はドイツの復興共に急速に発展し、ドイツはもとより、ヨーロッパで最も賑やかな場所と言われるまでになった。 The area around Potsdamer Platz station was crowded with lots of people. Once there, there was a gate for people from Potsdam to visit the walls of Berlin, and it was called Potsdamer Platz. After World War I, this place developed rapidly with the reconstruction of Germany, becoming one of the most bustling places in Europe as well as Germany. 第2次世界大戦における連合国の爆撃により、ベルリンという都市全体が焼け野原になり、このあたりは、東西ベルリンの境界線付近であったことで、長く、建物が建てられない地域になった。 東西の冷戦が終結し、この地域は、残された土地として、急速に発展を遂げた。 ソニーセンターは、その象徴的な建物で、建築家のヘルムート・ヤーンによる、ユニークな建築が、ベルリンの復活の象徴にもなっている。 The bombing of the Allied Powers in World War II made the whole city of Berlin a burnt field, and this was near the border between East and West Berlin, making it a long, unbuilt area. The cold war of the east and west ended, and this area has rapidly developed as the remaining land....

虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 Memorial to the Murdered Jews of Europe

ベルリンの壁から少し南に行った所に、虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑、通称でホロコースト記念碑、がある。 一見すると、コンクリートの塊が、広場一面に並んでいる。 そのコンクリートの四角い塊は、人が椅子のように腰掛けられる低いものもあれば、鬼のように人の背の高さもよりも高いものある。 A little south of the Berlin Wall, there is a monument for slaughtered European Jews, commonly known as the Holocaust monument. At first glance, a block of concrete is lined up on the square. Some of the concrete square blocks are low enough for a person to sit like a chair, and some are taller than a person like a demon. この施設は、ベルリンの壁が取り壊された後の跡地に建てられて、2005年5月12日にオープンした施設。設計は、一般のコンペによって選ばれた、アメリカの建築家、ピーター・アイゼンマンによる。 This facility was built on the site after the Berlin Wall was demolished and opened on May 12, 2005. The design is by American architect Peter Eisenman, selected by a general competition. 第二次世界大戦中におけるナチスによる虐殺によって亡くなったユダヤ人は、およそ600万人にのぼると言われている。 ナチスは、当初からユダヤ人を虐殺しようとしてはいなかった。 当初は、ユダヤ人をドイツ国内から追放しようと考えていて、マダガスカル島をその地に計画していたこともあった。 しかし、ポーランドを占領し、そこで200万人のユダヤ人を抱え込むことになり、追放を諦めて、虐殺する方向に政策を転換したと言われている。 ナチスは...