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イーストサイドギャラリーとベルリンの壁 East Side Gallery and Berlin Wall


オスト駅からシュプレー川の方にしばらく歩いていくと、イーストサイドギャラリーが見えてくる。

この川沿いには、ベルリンの壁が長々と残されていて、その壁面に、多くのアーティストが絵を描き始めて、今ではイーストサイドギャラリーと呼ばれることになった。

After walking for a while from Ost Station towards Spree River, you will see the East Side Gallery.

A long wall of Berlin was left along the river, and many artists started painting on it, which is now called the East Side Gallery.


第2次世界大戦でベルリンはソ連の猛攻により陥落し、ヒトラーは自殺、ナチス帝国は崩壊した。

首都のベルリンは、ソ連、アメリカ、イギリス、フランスの4カ国によって占領された、ドイツは西ドイツと東ドイツに分裂して、ベルリンも西と東に分断された。

やがて、東西冷戦が勃発。東ドイツは1961年8月13日から突如として境界に壁の建設を始めて、それまで比較的自由に行われていた、東西ベルリンの人々の交流は閉ざされてしまった。

1963年6月26日に西ベルリンを訪れたアメリカのケネディ大統領は、”Ich bin ein Berliner”、私は一人のベルリン市民である、と演説して、東ドイツの領土内で孤立している西ベルリン市民への連帯感を表明した。

In World War II Berlin fell due to the Soviet onslaught, Hitler committed suicide and the Nazi empire collapsed.

Berlin, the capital, was occupied by four countries, the Soviet Union, the United States, Britain, and France. Germany was divided into West Germany and East Germany, and Berlin was also divided into West and East.

Eventually, the East-West Cold War broke out. East Germany suddenly began to build a wall on the border on August 13, 1961, and the people's interaction in East and West Berlin, which had been relatively free until then, was closed.

US President Kennedy, who visited West Berlin on June 26, 1963, addressed "Ich bin ein Berliner," I am a Berlin citizen, saying that West Berlin is an isolated territory in East Germany. Expressed a sense of solidarity with the citizens.


しかし、やがてソ連にゴルバチョフ書記長が登場して東西冷戦が終結。1989年11月9日、東ドイツ政府は国境の閉鎖を解除し、ベルリンの壁は崩壊した。

当時のテレビでは連日、ベルリンの壁の崩壊と開放を喜ぶ人々の映像が流されていて、歴史の大きな分岐点を目撃しているのだ感じたことを、とてもよく覚えている。

However, Gorbachev's General Secretary appeared in the Soviet Union and the Cold War ended. On November 9, 1989, the East German government lifted the border closure and the Berlin Wall collapsed.

I remember the feeling that I was witnessing a big turning point in history, as I was seeing daily images of people on the TV at that time enjoying the collapse and opening of the Berlin Wall.


現在、穏やかに流れるシュプレー川沿いを歩きながら、そのベルリンの壁を眺めてみると、そんな悲しい歴史がこの地にあったとは、みじんも感じられない。

あたりはとても穏やかな雰囲気に包まれていて、多くの人がのんびりと時間を過ごしているように見える。

Looking at the Berlin Wall while walking along the gentle river Spree, I can't really feel that such a sad history was here.

Surrounded by a very calm atmosphere, it seems that many people are spending their time leisurely.


船を改造したホテルが、シュプレー川の上に浮かんで宿泊客を迎えていた。

A hotel converted from a ship floated above the river Spree to welcome guests.

(Translated by Google Translate)

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