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カイザー・ヴィルヘルム記念教会 Kaiser Wilhelm Memorial Church


UバーンでWittenbergplats駅まで行き、そこからカイザー・ヴィルヘルム記念教会へ。

Wittenbergplats駅は、古い駅舎が今でも使われている。プラットフォームから地上に上がってくると見えてくるその駅舎はとてもいい雰囲気だった。

From the East Side Gallery take the U-Bahn to Wittenbergplats Station and from there to the Kaiser Wilhelm Memorial Church.

At Wittenbergplats station, the old station building is still used. The station building that you can see when you go up to the ground from the platform had a very nice atmosphere.


駅前の広場にあったオブジェから見て、タウエンチーン通りの向こうにカイザー・ヴィルヘルム記念教会が見える。

The Kaiser Wilhelm Memorial Church can be seen beyond Tauenchin Road from the object in the square in front of the station.


教会の名前にもあるように、この教会は1895年にドイツの初代皇帝ウィルヘルム1世を記念して建設された。

第2次世界大戦時の激しい空襲で損傷を受けたが、その空襲を忘れないように塔の部分だけがそのままの形で残されている。

As the name suggests, the church was built in 1895 to commemorate the first German Emperor Wilhelm I.

Although it was damaged by a severe air raid during World War II, only the tower is left in its original form so as not to forget the air raid.


塔の中に入ると、パステル調の色鮮やかなモザイク画が目に飛び込んでくる。

二人の天使が、ウィルヘルム1世の名前の入ったプレートを持っている。

As you enter the tower, colorful pastel mosaics come into your eyes.

Two angels have a plate with the name of Wilhelm I.


よくよくモザイク画を見ると、所々、モザイクが剥がれ落ちてしまっているのが見える。これも空襲の激しい衝撃の影響だろうか。

If you look closely at the mosaic, you can see that the mosaic has peeled off in some places. Is this also due to the severe shock of the air raid?


塔の隣には、1961年に礼拝堂が作られた。中に入ると、礼拝堂は一面の青を基調としたガラスで覆われていた。

先ほどの華やかなモザイク画の世界とは全く違った世界に迷い込んでしまったように感じる。

A chapel was built in 1961 next to the tower. Upon entering, the chapel was covered with a glass of blue on one side.

It feels like you've lost yourself in a world completely different from the world of gorgeous mosaic paintings.


礼拝堂の背面には、モダンなデザインのパイプオルガンと聖歌隊のための座席がある。

この小さな礼拝堂の中で、このパイプオルガンや聖歌隊によって奏でられる音楽は、どんな風に聞こえてくるのだろうか。

On the back of the chapel is a modern-designed pipe organ and a seat for the choir.

How does the music played by the pipe organ and the choir sound in this little chapel?


ベルリンを訪れた翌年、2016年のクリスマスに、このカイザー・ヴィルヘルム記念教会の前で行われていたクリスマス・マーケットに車が突っ込み、12人が亡くなるという痛ましいテロ事件が発生した。

この教会には、ベルリン空襲に加えて、また悲しい事件が一つ刻まれてしまったが、これからもずっとベルリンの人々を癒し続ける鎮魂の場であり続けるのだろう。

The year after visiting Berlin, on Christmas 2016, a car plunged into the Christmas market in front of the Kaiser Wilhelm Memorial Church, killing 12 people and causing a terrorist attack.

In addition to the Berlin air raid, another sad incident was engraved on this church, but it will continue to be a place of soul soul healing for the people of Berlin.

(Translated by Google Translate)

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